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塾長の中学・高校時代の成績1

今回は、完全にブログのような感じです♪

中学時代を通して

残念な中学校生活でした。以上…
と言いたいくらい後悔の残る中学校生活でした。

成績は、テストで120人弱の中で10〜30番を行き来する感じでした。

通信簿の評定は数学と理科は「5」、他の教科は「3」というような感じで、THE理系です。

中学校入学前

小学校では、そろばん教室と(少しだけ公文式)に通っていて、算数は飛び抜けてできていたと思っていて、他の教科もどちらかというとできている子どもでした。

朝ギリギリに起きて小学校に登校し、友達もいて、それなりに楽しく学校で過ごし、放課後は、そろばんや友達と遊んで、夕方の6時半くらいに家に帰りダラダラ過ごしていました。10時頃には寝て、3時に目が覚めて宿題をして、寝て、朝ギリギリに起きる毎日。

小学校6年生の2月頃に姉が通っていた(愛媛では)有名な大手の集団指導の学習塾に入塾しました。

中学校に入ると同時にそろばんは引退。学校→部活動(ソフトテニス)→塾(か家でゴロゴロ)の毎日。

中学校

中1の1学期が最盛期で、中1の1学期の数学の期末テストは”100点”、通信簿で「5」は学年で一人だけでした。塾の模試でも数学は県で4位、塾内トップで愛光生に割って入るような成績(おそらく偏差値75位って書いていたような気がする)でした。数学以外は平凡です。

ただ、そこから落ちこぼれます。塾では、学校よりも多い宿題の量にこなすことができず、英語も数学も訳が分からず追試を毎回受ける生活、勉強は全く楽しくなくて、ただ嫌なものでした。(一応、塾の先生が悪いということでなく、視力が悪いのに、メガネもかけず、授業を受けていたので…)

塾では、特進コースの落ちこぼれ、学校では、中の上〜上の下といった成績でした。

中3から転塾し、地元の集団塾へ。(おばあちゃんくらいの人がしている集団塾でした。)そこでは、成績が上位で、マイナスになっていた自己肯定感を0くらいに戻すことができました。教え方が上手とか、カリキュラムが良いとかはあまり思えませんが、中学校の仲間と共に勉強したり、あまり否定されなかったことが当時の私には合っていたのかもしれません。

そんな中でも、中2の数学は2学期診断〜3学期診断までALL100点でした。(唯一の自慢です。)

高校入試は、私立が済美高校特進、県立が松山中央高校でした。

私立は、共学化して日も浅い済美高校で、当時の特進の成績が良かったのと、男子は特進コースしかなく、県立が落ちたら嫌でも勉強する環境にいるためです。

県立は、松山東、松山北は家族が通っていた学校で、比べられたくなくて、松山南高校を目指していたのですが、学力的に合格できない可能性が高く、松山中央高校を選びました。この選択が未来を大きく変えたかもしれません。

松山中央高校時代

上記のように高校は基本的に学力が高そうな順番に志望しました。なので、あまり調べもせずに入学してしまいました。先に言っておきますが、私は中央高校でよかったと本気で思っています。

ただ、入学当初は本気で後悔をしました。

県内でも一番かもと言われる校則の厳しさ、軍隊のような体育…色々ありすぎるので省略です。今は時代も変わっているので、変化しているかもしれません。

高校では、入学当初、400人中320番位でした。

宿題も多く、、、ここに書くと良くないことも多々ありました。

一時期学校にあまり通えてもいなくて、、、(6月〜11月くらいですね。特に夏休みは出席日数にカウントしていませんが、授業がフツーにありました)

ほとんどの教科が欠点。(30点以下)数学も全然点数が取れていませんでした。悪化した視力で黒板がほとんど見えなかったのに、メガネを掛けるのを嫌がっていました。

1年生の最後の方に文系か理系の選択がありました。私は小学校の先生になりたくて、教育学部を志望していたので、”文系かなー”と思っていたのですが、その時の担任の先生から、「教育学部ならどちらでも可能なので、得意か好きな教科で選んでもいいんじゃない?」という一言で理系を選びました。(高1、高2の担任の先生は本気で恩師で、感謝しかありません)

当時は、理科や数学を得意と言えないほど、成績が悪かったです。

成績の風向きが変わったのが、高2の進研模試

この時の、成績が全国偏差値71.7

変わったことは、高2からそろばんに舞い戻って、お手伝いしてたくらい。(採点や、指導の手伝いをさせていただいていました。勉強は頑張って・・・いない。

恥ずかしいですが、高1の内容ほとんど理解できてなくて、三角比、確率、理解度0。高2で学習した内容と中学校の内容を応用させて解くような感じでした。

この模試は本当に人生変わりました。「エッ。数学って勉強しなくても解けるじゃん。」

上の言葉を本気で当時思っていました。そして、そこから偏差値が他の教科も伸びて国立大学なんて受からない、どこを書いてもE判定。のような成績が急上昇していきます。

※誤解を与えるといけないので補足ですが、実際は、”小学校〜そろばんをしていた計算力”と”物事を考える思考力”を中学生までにしっかり鍛えていた自負があるからこそ勉強しなくても応用して解くことができていました。大学入学以降、様々な生徒を見ていて、自分と同じじゃないと気づいて、自分のいた環境が恵まれていたことを知りました。でも、勉強しなくてもできるじゃんっていう感覚を一人でも多くの人に知っていただいて、感動して欲しいとは思っています。

高2の夏くらいから、個別指導の塾に英語だけ受講しました。この選択は正しかったと思っていて、英語を勉強することに対する苦手意識が少しなくなったと思います。(英語に対する苦手意識はありましたが)

高2の段階では、授業は真面目に受ける、そろばんに通う、将棋部で頑張る、くらいでした。宿題は・・・ごめんなさい。でも数学は習熟度別の授業で上のコースに残れていたため授業で頑張って、テストでしっかり点数を取れればいいというくらいに思っていました。他の教科は化学がそれなりにできて、他の教科は目も当てられませんでした。

高3の夏休み入ってすぐに将棋部で最後の大会があり、そこで負けたら将棋はやめて、本気で勉強すると自分で(心に)誓っていました。

同じ高校の後輩にベスト8で敗北。

そこからは、人が変わったように勉強ばかりしていました。

朝5時半に起きて、高校で0限目に物理、高校で授業を受けて、24時(0時)まで、勉強。(トイレやお風呂で英単語や古文単語を覚えたりしてました。)本当に寝る以外は勉強です。

土日も朝から県立図書館が開いてから閉まるまで、閉じこもって勉強。1日10時間は余裕で超えていました。

成績は確実に上がっていきましたが、何より他の人とは違ったのは、数学は授業以外でほぼ勉強せずに済んだことです。だから、他の人が数学の勉強に費やしている時間を他の教科の勉強に回すことができました。(これは本当に大きかったです。)

続きは後日書きます。